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縄文の春

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1967年(昭和42年)元旦の鹿児島の南日本新聞一面。前年に発見された縄文杉の記事が大きく取り上げられています。「縄文杉」がはじめて世に出た瞬間です。「縄文杉」の名称はこの新聞記事が発端だったそうです。
以下記事を引用しておきます・・・
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屋久島のヤクスギ原始林で、さいきん記録破りの大樹が発見された。記者とカメラマンは主峰宮之浦岳北東約4km地点の現場を踏み、この巨大な樹貌(ぼう)をはじめてカメラにとらえた。
「ヤクスギの横綱・大王スギを上回る大樹が見つかった。」という報告を受け、期待と不安を胸に現地にたどり着いたのは昨年の暮れ。その朝、小杉谷のヒュッテで迎えた太陽は、群峰をはるかかなたから、黄金色に染めてきた。山案内の若松壱さんを先頭に、三代スギからウィルソン株へ向かう。このあたりすでに原始林で、湿度が高い。うす暗い花コウ岩の谷間をいくつも超えた。大王スギを見て右折し、さらに四十分。小杉谷を出て四時間も歩いたろうかーと思うころ、登山道から約二十メートルはずれた密林の中で、若松さんが大声をあげた。「あった。あったぞ!」われわれは思わず足をすくめ、天をささえるその木を見た。
標高千五百メートル。高塚山に近い東部稜線。針葉、広葉の樹林や風倒木、シダ、コケ類で織りなされた未開の森を威圧するようにそれはそびえ立っていた。むくむくと隆起した樹幹。ささくれだった褐色の樹皮。ナナカマドやヤマグルマの寄生植物がやどっている。これが樹木と呼べようか。生物でなければ阿形(あぎょう)の金剛力士だ。実測すると、胸高(1.2メートル)の位置で、周囲18.1メートル。大王スギのそれを1メートル近く上回っていた。
推定樹齢三千年以上。四千年ともいう。その一粒のタネが芽を出したころ、縄文時代にあった。日本列島にまだ「国家」は存在しなかった。先史人はハチ形の土器をつくり、シカ狩りなどをして暮らしていた。屋久島には、一湊式土器文化と市来式土器文化が共存したことが、考古学者によって証明されている。それらの先史人は滅び去ったが、ヤクスギの原始林は生き続けた。花崗岩帯の貧しい土壌に、かみつくように根を張った「四千年のいのち」は、年間一万ミリリットルの雨量に養われて、未踏の幽境をつくった。其の驚異的な生命力の根源はなんであろう。
現代人はこれを「神木」と呼ばないにしても、その神秘的ないのちの塊(かたまり)には、巨大な感動がある。同時にそれは「縄文時代の郷土の、生きた確かな証人」である。われわれは、この厳粛な「自然」との対話によって、現代文明が「振りかざしたオノ」を収め、島が無限のやすらぎを取り戻すことを願わずにはおれない。
文 ・宮本秋弘記者
写真・木下幸夫写真部長
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by th0031 | 2014-11-19 08:06 | 自然 | Comments(0)