Hart(ハート) Ski
2012年 12月 26日
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マドンナディカンピリオはイタリア・ドロミテ地方のこぢんまりしたリゾートだ。アルペンスキーのワールドカップ(W杯)草創期からほぼ毎年のようにW杯を開いている。トエニ、ステンマルク、トンバら名手が勝者に名を刻んできた。
伝統の地で、湯浅直樹選手が男子回転で3位に食い込み、W杯で日本選手が7シーズンぶりの表彰台に立った。それ以上に意義深いのは彼のスキーが国産ということ。過去、男女4人の日本選手がW杯で3位以内に入ったが、すべて外国製。半世紀近いW杯史で「日本選手による日本製スキーの表彰台」は初の快挙である。
国産も、かつてヤマハ製を履いたノルウェー選手が五輪に勝った歴史がある。だが、不況やスキー人口減少に伴い、同社がスキー製造から撤退。ニシザワやカザマなどの名門も看板を下ろした。スキー産業は冬の時代のただ中にある。
実は湯浅選手のスキーは、ヤマハで携わった人たちが、会社撤退後も日本選手による国産板の栄冠を夢見てスキーづくりを続けた結果なのだ。
12月のアルプス、いてつく夜。標高差185メートルの急斜面に2回計120以上も立てられた旗門の林を、腰痛をこらえて滑り切った湯浅選手の背景を思うと、夢をあきらめなかった関係者に拍手を送りたくなる。
冬季スポーツは選手の力に加えて、用具の優劣が成績に反映する度合いが小さくない。外国製優位の世界に国産の逆襲。背後にあるのは、逆境に負けない人々の思いだ。日本は職人の国である。(K)
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