ラヂオ塔@仁尾
2017年 06月 08日
鹽竈(しおがま)神社の境内にその塔らしきものはありました・・・。
しかしながら塔のどこにも「ラヂオ塔」という記載はありません。
発見者の一幡公平氏に問い合わせてみたところこんな回答をいただきました。
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おっしゃるとおり、この灯篭を見ただけではラジオ塔とは判断できません。
「昭和11年 ラヂオ年鑑」に載っていた写真に 「香川縣三豐郡仁尾町ラヂオ塔」と書かれていました。
この写真が塩釜神社の灯篭と一致するため、ラジオ塔と判断しました。
この「ラヂオ年鑑」という書籍は、「国立国会図書館デジタルコレクション」というところで、全ページの閲覧ができます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223101
このリンクのページで、コマ番号192をご覧になってみてください。
また、仁尾で何名かの方にラジオ塔のことをご存知ないか聞いてみたところ、お一人の方がご存知でした。
この方はご高齢なため、直接お会いできず、聞いていただいた話ですが、あの塔がラジオ塔だということをはっきりと覚えていらっしゃるご様子とのことでした。
写真があるからには、このラジオ塔が現在も残っているのか気になり、確認したいと思いました。
写真の背景には、川のような岸壁が写っています。
これを手がかりに仁尾の地図を眺めてみると、本土と塩田跡との間に運河があるのを見つけました。
このラジオ塔がある場所は運河沿いではないかと予想をたてて、実際に仁尾を訪れてみました。
そして、塩釜神社の一角に、写真と同じラジオ塔が残っているのを見つけるに至りました。
同じく「昭和11年 ラヂオ年鑑」には、当時存在していたラジオ塔の一覧が載っています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1223101
コマ番号211をご覧ください。
仁尾のラジオ塔は、昭和10年に作られたということがわかります。
また、四国では高知、徳島につづいて3番目のラジオ塔で、香川では最初のラジオ塔のようです。
県庁所在地よりも先に作られたようです。
その後、香川の各地にもいくつかラジオ塔は作られました。
全てのラジオ塔の素性が明らかではないのですが、ラジオ年鑑に登場するラジオ塔の中で、個人の名前で建てられたという記録があるのは、この仁尾のラジオ塔のみだと思います。
他は全て自治体等の団体名ばかりです。
このことからも、塩田忠左衛門さんという方はすごい人物だと思えるのです。
実際には、京都のラジオ塔には個人が寄付した記録もありますが、そちらは5名の連名となっています。
(ラジオ塔に取り付けられている銘板に記載されている)
また、ラヂオ年鑑の写真と一致とは言いましても、円形部分やその下の四角の部分が、現状では変わっています。
おそらく円形部分にはスピーカーがあって、その下の四角いものは内側の機器へアクセスするための扉だと思われます。
このことについて私の推測としては、ラジオ塔としての役目を終えた塔を、流下式塩田の竣功記念碑として再利用したのではないかと考えています。
(銘板の周囲の目地は、少し新しいもののように見えます)
このあたりの経緯について調べようとしましたが、まだ資料は見つかっていません。
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RNCテレビで放送されたようです・・・